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大分地方裁判所 平成5年(わ)151号 判決

主文

被告人を懲役一年一〇月に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成四年一月三〇日ころの午後七時ころ、大分県佐伯市中村北町〈番地略〉E方において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約0.03グラムを溶解した水溶液約0.25立方センチメートルを自己の右腕部に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件覚せい剤の検出過程において、捜査官に、任意捜査の限界を越えた違法があり、右違法の程度は、検出された覚せい剤に関する証拠(検察官請求番号甲第六ないし第九号、第一一号及び第一二号)の証拠能力を否定すべきものであり、そうすると、被告人の覚せい剤使用に関する補強証拠は存在しないこととなり、被告人は無罪である旨主張する。

そこで検討するに、証人C、同B及び同Aの各証言、被告人の当公判廷における供述及び第二回公判調書中の供述部分並びに当裁判所の検証調書によれば、次の事実が認められる。

1  平成四年二月一日、大分県警察佐伯警察署(以下「佐伯署」という。)に某通報者(ただし、前記証人らは、通報者の保護等の見地から、その氏名を明らかにできないとする。)から、被告人の覚せい剤使用について電話通報があり、続いて、直接同署に出向いてきた同人から、被告人が覚せい剤を使用していること、被告人が何回もの覚せい剤事犯の前科を有すること、最近刑務所を出たばかりであること、変なことを口走っておかしな行動が見られること等が告げられたので、調べたところ、右通報にかかる被告人の前科や出所の点が事実と符合しており、かつ、右通報者は前科前歴のない一般市民であったことから、右通報は確度が高いと判断し、同署防犯係では、被告人に対する覚せい剤の使用又は所持の嫌疑を抱き、事情聴取のために被告人に同署への任意同行を求めることにしたが、被告人の覚せい剤使用歴が多かったことから、暴力を振るう等反撃される恐れがあることも考慮して、A警部補(防犯係長)、B巡査部長、C巡査部長及びD巡査(以下「A」、「B」、「C」及び「D」という。)の四名の警察官で、同日午後四時ころから同八時ころまで、被告人が逗留する実姉E方(佐伯市中村北町〈番地略〉)付近を張り込んだ。

2  右四名の警察官らは、翌二日も、午前八時ころから右姉方付近を、いずれも私服で、捜査用自動車(白色カローラ)を使って張り込みを開始したところ、被告人が外出したのでこれを追尾し、午後一時三〇分ころ、佐伯市中村北町一〇番西日本銀行佐伯支店裏側路上(以下「西銀裏現場」という。)に至った際、被告人の進路前方に停車し、A、B及びCが下車して被告人の傍らに赴き、Aが、被告人に対し、警察手帳を提示して、「佐伯警察署の者だ。聞きたいことがあるので、署に来てほしい。」と声をかけたところ、被告人は、帰京の途上にあり、二時過ぎの電車に乗らねばならない等の理由でこれを拒絶したが、Aは、「君は覚せい剤を使っているという通報があっている。そのことについて話を聞きたいので、署に来てほしい。」と説得し、覚せい剤使用を否定する被告人に対し、さらに、「ここは道路上だから、人目につく。容疑が晴れればすぐ帰れる。署も近いから、警察署で話そう。」等と申し向けて、同行方を求めた。その際、警察官らは、被告人の目の輝きの異様さや、覚せい剤と聞いた後の落ち着きのない態度等から、覚せい剤使用の疑いを強く抱いていた。なお、その間、運転していたDも近くの交差点道路脇(西日本銀行佐伯支店横)に、右折の状態で駐車させて、その傍らに赴いた。

しかし、被告人は、Aの右要求に応じる気配はなく、そのまま歩き出したので、右警察官四名で被告人を取り囲む態勢となってさらに説得を続け、その間被告人の腕に手をかける等してその翻意を促したところ、被告人は、止むなく同行に応ずることとして、警察官らとともに、五メートル余り離れた捜査用自動車まで赴き、まず、右側後部ドアから、Bが乗車して後部左側座席に座り、続いて被告人が乗車して後部中央座席に座り、続いてAが後部右側座席に座り、助手席にはCが乗車し、Dの運転で同所を出発して、二、三分後に佐伯署に到着したが、到着後は、BとCが被告人を先導し、Aがその後ろに続く形で玄関を通り、同署二階の刑事課第三取調室に入った。

3  佐伯署では、午後一時四〇分ころから、右第三取調室(広さは三畳弱程度)において、BとCが被告人の取調に当たり、人定事項確認の後、被告人の同意を得て、そのスポーツバッグ、ジャンパー等の所持品検査と身体検査を実施した。被告人は、東京の保護会に戻らなければならないので、すぐ帰して欲しい旨要求し、以後何度も繰り返し同様の要求をした。そのため、Cらにおいて、保護会に連絡してやろうと申し入れたが、被告人は、覚せい剤容疑で警察の取調を受けたことが判れば肩身が狭い等の理由からか、同会への連絡は望まなかった。

身体検査に当たって、Cらは、被告人が袖をめくった左手の肘部内側付近にひっかき傷様のものを、また、右手の肘部内側に注射痕様のものを認めて質したところ、被告人は最初、「古い注射の痕だ。」と述べていたが、Cに、「まだ新しいではないか。」と指摘されるや、「刑務所を出所した後に、病院に行った時のものだ。」と弁解を変えてきたため、Cらは、被告人の覚せい剤の使用の疑いをさらに一段と強く抱いたが、強制採尿のための捜索差押許可状を請求するには、まだ資料が不十分と考えていたので、佐伯署到着後三〇分位を経過していた午後二時一〇分ころから、尿検査のため、尿を任意提出してくれるよう同人に求めた。しかし、被告人は、「やっていないので出す必要はない。」等と拒絶して帰ることを要求し、以後、C及びBの説得と被告人の拒絶が続けられたが、そのうち、被告人は、採尿には応じないものの、帰してほしいとの要求は次第にしなくなった。

4  午後三時ころになり、被告人から、責任者と話をさせてくれと要求があったため、C及びBの両名は、第三取調室を出て、代わりにAが同室に入ったが、被告人は、容易に拒否の姿勢を変えようとはせず、東京の保護会の件を理由に帰してほしいと要求し、Aは、「小便を出したら帰す。」と応え、また、保護会に連絡してやろうと申し向けたが、被告人は、この時も連絡は望まなかった。このような経緯で、Aは、説得のため被告人の生活歴等を聞くなどの雑談を交えながら説得を続けるうち、午後四時三〇分ころ、被告人から弁護士を呼ぶよう要求がなされ、Aが「佐伯には西山弁護士しかいないが、今日は日曜日なので、連絡が付くかどうか分からない。」と述べると、被告人は、今度は姉に電話をしたいと申し出たので、Aは、被告人を第三取調室に隣接する鑑識係のところに連れて行き、そこの電話を使って姉と通話させたところ、被告人は姉と一、二分間ほど話をし、弁護士を呼んでくれるように依頼して通話を終わり、被告人とAは再び第三取調室に入った。この間、被告人は、採尿拒否の態度を少しずつ軟化させていたところ、右電話の後一〇分くらいして、Aに対し、尿の提出に応じる旨申し出たが、すぐには排尿しようとはせず、Aと雑談しながら、弁護士の到着を待つ気配を見せていた。

5  午後五時四〇分ころ、被告人は尿意を告げたので、Aの指示を受けたCとBの両名は、被告人を先導して、同じ二階にある便所に案内し、少し離れた位置から同人が採尿用ポリ容器に排尿するのを見守り、被告人から同容器に採取した尿の提出を受けたが、右尿の量が五CC程度と少なかったため、Cは検査不可能と判断して、その尿を廃棄したうえ、被告人に対し、再度の提出方を求めた。

被告人は、一旦は第三取調室に戻ったが、午後六時ころ、再び電話を希望したため、Aは前回同様、被告人を鑑識係に連れて行き、被告人は、再び姉と通話し、その後、被告人とAは、また第三取調室に戻った。

午後六時二〇分すぎころ、被告人が再度尿意を告げたので、C及びBの両名は、Aの指示により被告人を便所に案内し、前回同様の方法で、被告人が別の採尿用ポリ容器に排尿して採取した尿の提出を受けた。Cは、その尿量が一五CC程度で検査に必要な量があると認めたので、被告人をして、同容器の封印や同意書、任意提出書、所有権放棄書等に必要事項を記入させた。

そして、最後に、Bが被告人に対し、再度腕の袖をめくるよう求め、これに応じた被告人の腕を写真撮影し、午後六時四五分ころ、被告人は姉方に帰ると述べて佐伯署をあとにした。

以上の事実が認められ、証人C、同B及び同Aの各証言並びに被告人の当公判廷における供述及び第二回公判調書中の同人の供述部分中、右認定と相容れない部分は、次のとおり、それぞれ信用することができない。

二  次に、右各証拠の信用性について補足する。

1  被告人の当公判廷における供述(第二回公判調書中の同人の供述部分を含む。)について

(一) 佐伯署までの同行時の事情につき、被告人の右供述は、要旨、被告人が佐伯駅に向けて、西銀裏現場を歩行中、尾行してきた二台の自動車(黒色クラウンと白い車)から降りてきた六、七名の警察官と思われる男から取り囲まれ、「ちょっと、署まで来い。」「すぐ済むから、車に乗れ。」と言われたが、被告人が、「東京の保護会に戻らなければならない。」と言ってこれを拒否したこと、ところが、うち四名の警察官が掴みかかってきて、被告人の両脇に来た二名から両腕を掴まれ、後ろに来た一、二名から腰を掴まれ、五メートル位離れた黒色クラウンまで無理やり連れて行かれて乗せられたこと、被告人は後ずさったり、踏ん張ったりして抵抗し、ズボンのバンドが外れたりしたが、乗車する際には、仕方無いとの感じになっていたこと、被告人が同車に乗るまで、一〇分ないし一五分を経過したこと、佐伯署に到着すると、被告人は二人から両脇を持たれて階段を上り、二階の取調室まで行ったこと等を供述するものであり、

(二) また、佐伯署における採尿までの事情として、同供述は、要旨、佐伯署に到着後、被告人は、まず二階の大きな取調室、続いて二時間ないし三、四時間後に、小さな取調室に通され、ほぼ常時複数の警察官の取調を受けたが、その間、被告人は何度も「すぐ帰してほしい。」「東京に帰らなければならない。」と頼んだが、警察官らは、「小便を出せ。」「小便を出したら帰してやる。」と言って帰してくれなかったこと、警察官らは袖をめくるよう要求し、これに応じた被告人の腕の写真を撮影したり、被告人のボストンバッグを勝手に開けて所持品検査をしたこと、被告人が大便意を催してその旨申し出たのに対し、大便時に出る小便を取ると言うので、被告人は排便を我慢し、また、警察官らは、被告人の弁護士への連絡要求も無視して取り次いでくれなかったこと、佐伯署到着後三〇分位して尿意を催したが、我慢していたこと、その後、被告人は二度にわたって、採尿して提出したが、便所に行くときは、その都度二名の警察官が被告人の両脇から両腕を掴み、さらに一名が後ろに付くようにして連れていったこと、尿を提出するに当たり、警察官から紙を渡されて何か書くように言われ、帰りたいばかりに、内容も分からないまま書いて渡したこと等を供述するものである。

2  証人C、同B及び同Aの各証言について

(一) 佐伯署までの同行時の事情として、右各証言は、要旨、被告人に対する張り込みや尾行は、佐伯署防犯係勤務のA、C、B及びDの四名の警察官が一台の捜査用自動車(白色カローラ)を使用して行い、西銀裏現場での被告人に対する職務質問や任意同行の説得にも、右四名が当たったもので、その途中に二名の制服警察官が乗務したパトカーが同現場に来たが、応援を断ったため、同車は、右二名の警察官が下車することもないまま立ち去ったこと、被告人に対しては、まず、Aが警察手帳を提示し、佐伯署の者であること、覚せい剤使用の通報があるので話を聞きたいことを告げて同行方を求めたのに対し、被告人は、二時過ぎの汽車で東京に帰ることを理由に拒絶していたが、重ねての説得に応じ、自ら右カローラの後部座席に乗り込んだもので、有形力を行使したことはまったくなく、その間五分位を要したこと、佐伯署に到着すると、BとCが被告人の前に立って先導し、Aが被告人の後に続く形で玄関を通り、二階の第三取調室に入ったこと等を供述するものであり、

(二) また、佐伯署における採尿までの事情として、右各証言は、要旨、佐伯署に到着後、C及びBの両名が被告人を二階の刑事室の奥に接する第三取調室に同行し、人定質問の後、覚せい剤使用の容疑につき話を聞きたい旨を告げ、被告人の承諾を得て、そのボストンバッグや着衣につき所持品検査をし(この時はAも来て、従事した。)、また、袖をめくってもらって、腕の注射痕の確認等をしたこと、被告人の目の輝きの異様さや、覚せい剤と聞いた後の落ち着きのない態度とも合わせ、覚せい剤の使用の疑いを一層強く抱き、尿検査をしたいので、尿を任意提出してくれるよう求めたこと、被告人は、当初は、「帰らせてくれ。」「覚せい剤などしていないので、尿を出す必要はない。」等と拒絶していたが、そのうち帰ることは言わなくなり、以後は、尿提出の説得が重ねられたこと、午後三時ころになり、被告人が責任者と会うことを希望したので、C及びBに代わってAが入室して取調に当たり、雑談を交えながら尿提出の説得に当たったが、被告人は拒否の態度を変えなかったこと、そのうち、被告人が弁護士への連絡を要求したので、Aが、「佐伯は西山弁護士のみであるが、今日は日曜日だから、連絡がとれるかどうか分からない」旨を告げると、被告人は、姉への電話を希望したこと、そこで、Aは被告人を刑事課鑑識係の電話に案内し、姉と通話させた後、被告人とともに再び第三取調室に戻ったところ、間もなく、被告人はAに尿提出の意思があることを告げ、一時間ほど後に尿を提出したが、尿量が少なく、検査の必要量に足りないので、採尿に当たったCは、再度の採尿を求めたこと、ところが、被告人は、再度、姉への電話を希望したので、Aは前回同様、被告人に電話をさせたところ、程なく被告人は必要量の尿を提出したこと、右二度の採尿に当たっては、いずれもAの指示を受けたC及びBの両名が同じ二階の便所まで被告人の前を歩いて先導し、被告人が便器前で採尿する際には、便所の入口付近などで監視に当たり、その間被告人の身体に触れることはなかったこと等を供述するものである。

3  以上のとおり、被告人の供述とC、B及びAの各警察官証言は、対立する内容となっているが、その点に関する客観的証拠は極めて乏しいものである。

(一) ところで、被告人の供述からすると、被告人一人に対する張り込み、尾行に、六、七名の警察官が二台の自動車で従事したこととなるが、これは、警察官らにおいて、被告人が覚せい剤中毒者の疑いがあり、反撃してくる恐れもあると考えていたことを考慮しても、被疑事実の性質や実態(暴力団の背景等もない、覚せい剤の使用又は所持事犯)に照らして、不自然の感を否定することができない。

のみならず、そもそも警察官らは、任意同行を求める予定で張り込んでいたのであるから、身分も明かさず、被告人の同行に応じる意思の有無も十分確かめないまま、いきなり掴みかかってくることは、通常考え難い(なお、被告人は、一方では、自己を取り囲んだ男らは、「ちょっと、署まで来い。」と述べたとし、話振り等から、男らを警察官と思ったとも供述する。)うえ、被告人は、一〇分ないし一五分間にわたり必死で抵抗したとしながら、この間大声を出して救助を求める等のこともなく、また、西銀裏現場は、国道二一七号線から入った一方通行規制のある比較的閑散な場所ではあるが、周囲には銀行(裏口)、教会、人家、駐車場等があり、少ないながら人車の通行もあるのに、日曜日とはいえ、白昼に、一〇分ないし一五分もの間、身分も明かさぬ六、七名の男から取り囲まれ、理由も言わずに車に乗れと言われ、拒絶や抵抗を無視して強制されながら、人だかりまでは至らなくとも、人目についた節もないまま、いわば隠密裡に連れ去られたというのも奇異なことであり、さらに、被告人が捜査用自動車に乗ったのは進行方向に向かって右側後部ドアからであるところ、同車の駐車位置は人車の通行が頻繁な国道二一七号線からよく見通しのきく三〇メートル位の地点であって、特に、同車の駐車方法が、当裁判所の検証時に、被告人において指示した地点(第二図③点)に車両前部が位置するような形で、被告人の進行方向先の交差点道路脇に右折して停車した状況の下では、右側後部ドアは、国道から車体に遮られることなく直接見通せる関係にあることを考えると、かかる状況下で被告人が供述するような方法で乗車を強制されるというのも不自然なことと思われる。なお、弁護人は、警察官らが西銀裏現場で職務質問を開始したのは、この場所を目撃者が出現しにくい地点としてあらかじめ選択していたものである旨主張するが、この現場が特に他の場所に比して目撃者が出現しにくい地点であるとも言い難く、尾行を開始するに当たり、警察官らにおいて、被告人が佐伯駅に行くことを知っていたか否かは判然としないが、いずれにせよ、被告人が姉方を出た後、どのような道順をとるのかは判っていなかったはずであるから、あらかじめそこを職務質問の場所として選択していたとまでは、認めることはできない。

また、被告人は、佐伯署に到着して取調室に入るまで、あるいは採尿のために二度便所に行った際、いずれも警察官から腕を掴まれるなどされたと供述するが、既に、被告人は、西銀裏現場から捜査用自動車に乗車するときには、仕方無いとの心境になっており、その後は抵抗の姿勢を示していないこと、佐伯署到着時点でも、そこが警察署であり、男らが暴漢などではなく警察官であることは十分認識していて、抵抗や逃走する気配も示していないこと、取調室内でも、「帰してほしい。」と申し出たり、小便の提出を拒んだりはしているものの、抵抗や逃走の気配がなかったこと、尿の提出に応ずることになったのは、希望した姉との電話を契機とすること、場所は警察署の二階であること等の諸事情に照らすと、果たして、警察官らにおいて被告人の腕を掴む必要性があったかについては疑わしいものがある。

さらに、採尿後に、警察官から何か紙を書くよう渡され、帰りたいばかりに、内容も分からないまま書いて渡したとの点も、被告人が採尿により覚せい剤検査をされることを知って、採尿を拒否していたことやこれまで何回もの覚せい剤事犯の前科を有し、当然尿提出の経験があると考えられることに照らし、にわかに信用し難いのであって、以上に指摘のほかに、被告人の供述中には、佐伯署における水分摂取の状況あるいは被告人が尿を我慢していた状況に関し、供述の矛盾や変遷が存することなどに鑑み、かつ、前記各警察官の証言に照らすと、被告人の前記供述には、自己に有利に誇張したか事実を歪曲した部分が多いと認められる。

(二) 一方、C、B及びAの各証言は、西銀裏現場に来たパトカーの進行方向や到着の理由について、CとBの証言間に食い違いが認められるほかは、大筋において互いに符合するものである(なお、仮に、パトカーに乗務する二名の警察官がAら四名に加わったとすれば、被告人の供述するように、六名程度の警察官が現場にいたことになるが、被告人は、パトカーについては知らないと供述している。)が、各証言中、被告人が同行の要求を一旦は断ったものの、再度の説得に直ちに応じたとの趣旨の部分は、被告人が当日、東京の保護会にも連絡して上京の途中にあったもので、上京すべき理由があったこと、そのため、警察官らの職務質問にもかかわらず佐伯駅方向に歩きだしていたこと、また、被告人はその数日前には覚せい剤を使用していたもので、同行の要求に応ずれば、使用の事実が発覚するとの恐れを感じていたこと等に徴すると、被告人がたやすく右要求に応じる状況にあったとは認められず、有形力の行使が、被告人供述のとおりではなかったとしても、四名で被告人を取り囲んでその立ち去りを遮り、繰り返し同行を迫り、そのような態勢で被告人の翻意を促すため、その腕に手をかける等の行為があったものと認めるのが相当であり、被告人の当公判廷供述にも照らし、前記の各証言部分は疑わしいと言わざるを得ない。

(三) 以上の次第であるから、証人C、同B及び同Aの各証言並びに被告人の当公判廷における供述中、前記一の認定と相容れない部分の信用性は否定せざるを得ない。

三  そこで、前記一で認定した事実に、関係各証拠を加えて、証拠の標目挙示の証拠のうち、鑑定書その他の各関係証拠の証拠としての許容性について検討する。

1  まず、佐伯署防犯係のAら四名の警察官らが、西銀裏現場において、被告人に対し、覚せい剤使用について任意に事情を聴取し、尿の提出を求める目的で佐伯署への同行を求めたことは、もとより適法な職務執行である。しかし、同行を拒絶して立ち去ろうとする被告人に対し、取り囲んで説得を続け、その間、翻意を促すため、その腕に手をかける等した行為については、更なる検討を要するところ、Aらとしては、被告人の覚せい剤使用に関する情報は確度が高いと判断し、また、被告人に覚せい剤取締法違反の前科が多数あり、前刑の服役出所後間もない時期であることも知っていたのであり、職務質問時の被告人の様子や反応から、職務の経験上、覚せい剤使用の疑いを一段と強く抱くに至っており、さらに、覚せい剤使用の通報に際して、被告人が変なことを口走っておかしな言動が見られるということも合わせて通報されているのに、被告人は東京に帰ると言って立ち去る気配を示して歩きだしており、ますます事情聴取のための同行の緊急性と必要性を確信するに至ったと認められること、一方、被告人は、同行を拒む以上に、大声を出したり、逃げ出そうとしたりすることはなく、その同行拒否の姿勢はそれほど強いものではなく、加えられた有形力は前記認定の程度であって、渋々ながら自らの意思で捜査用自動車まで赴き乗車していること等の事情を考慮すると、右は任意捜査において許容される限度内の有形力の行使というべきである。

なお、弁護人は、①警察官らは、当日被告人が東京の保護会に帰らねばならないことを知りながら、被告人の都合を無視して同行を強行し、また、その意図を秘して、すぐに解放するかのような偽計を用いて同行した、②警察官らの同行の目的は、当初から被告人から採尿し、令状請求のための資料を獲得するためであり、令状主義潜脱の意図に基づくものであると主張するので、以下検討する。

被告人が、当日飛行機を利用して東京の保護会に戻る予定であり(特定便の航空券を予約していたか否かは詳らかでない。)、そのため、当時午後二時過ぎの汽車に乗ろうと佐伯駅に赴く途中であったこと及び警察官らが、職務質問時に被告人から右事情を聞いていたことは、前記認定のとおりであるが、関係証拠によれば、被告人はその前日も前々日も特別の支障もないのに保護会に戻る予定を覆しており、戻る意志はそれほど強いものであったとは認められないのであり(もっとも、翌日には保護会に戻っているが、それは被告人が当日尿を提出したことにより、覚せい剤の検出を予知したことの影響も否定できないと思われる。)、また、同行を求めるに当たり、採尿等のことを告げなかったとしても、その際に申し向けたAの言辞が偽計に当たらないことは明らかである。

次に、前記のとおり、警察官らは通報によって被告人の覚せい剤使用の確実な情報や前科、出所の事実を把握したが、通報者保護の見地から情報源を明らかにできないため、強制採尿のための令状請求を控えて、尿の任意提出を求める方法を取ったものと認められ、令状主義を潜脱する意図があったとの主張は当たらない(なお、関係証拠を子細に検討すれば、通報者は被告人の身近な者と推認されることを付言する。)。

2  次に、佐伯署において、警察官らが被告人の帰宅の要求に対し、小便の提出方を求めて、これに応じなかった点は、尿を出すまでは帰ってもらっては困るという意思表示であって、尿提出を求める説得の一表現に外ならないと解されるが、それが任意の提出を促す説得の範囲を越えたと認められるときは、たとえ有形力による帰宅の阻止行為等を伴わなかったとしても、違法な留置きと言うべきであり、遅くとも、被告人が、結局、帰してほしいとの要求をC、Bに容れられなかったため、責任者との面会を要求するに至った午後三時ころ以降の留置きは、任意捜査の範囲を越えた違法な身柄拘束と言うべきである。

しかしながら、右警察署への留置きに関しては、警察官らにおいて、被告人の退去の要求に応じなかった点はあるにしても、それ以上に警察署に留まることを強要する言動はしていないこと、その間、被告人は、責任者との面会、弁護士への連絡、あるいは姉への電話を要求するなど、精神的な余裕を保持していたと認められること、午後四時三〇分ころ、姉と電話をすることができたのを契機に、その後間もなく尿提出の意思を抱くに至ったこと、そして、採尿行為それ自体には何らの強制を加えられることもなく、被告人自らの意思による応諾に基づき行われていること等の諸事情があり、さらに、前記のような緊急性、必要性がなお継続していたことにも徴すると、本件採尿手続が帯びる前記違法の程度は、令状主義の精神を没却するほど重大なものとは言えず、この判断は、違法捜査抑制の見地を加えて考察しても左右されない。

3  なお、弁護人は、第一回目に採取した尿を警察官が廃棄したことに絡めて、他の尿とのすり替えや混同の可能性を指摘するけれども、本件鑑定に使用された第二回目に採取された尿については、被告人自身で、採尿用ポリ容器に封印していることが明らかであるから、弁護人の指摘は当たらない。

よって、本件採尿手続の違法を理由として、本件鑑定書等の証拠能力を否定する弁護人の主張は理由がない。

(累犯前科)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(量刑の理由)〈省略〉

(裁判長裁判官 矢野清美 裁判官 松野勉 裁判官 松田俊哉)

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